あえて「さがす」という漢字を「探す」ではなく「捜す」にしたのには理由がある。

「捜す」と「探す」の二つを比べたとき”度合の強さ”は「捜す」の方が強い。

そして、

腹の底として「なんとしてでも一つ見つけてやろう」というネガティブなエネルギーが明らかに存在し、昔から日本をとりまく雰囲気が根強いている感覚がある。

あながち間違いではないだろうと思っている。

 

特に自分に無い”物”や”能力”を持っていなく、それらを深く切望している人間なんかはなんとしてでもそれらが欲しい。

そういったとき、目の前にそれらを持ち合わしている人間が現れたとき、好印象な印象を与えつつも、腹の底では「奪ってやる」「ほしい」なんてエネルギーがある。

また、頑張って取り組んでいる人間に対しては、最初のころは馬鹿にするだろう。

そして、次第に頑張っている者の力がついてくるとわかれば、何かと理由をつけて蹴落とそうとしたり自信を無くそうとしたりする。

たとえば100あるうちの1の部分を取ってつけて99があたかもダメだよみたいな感じでくる人間だっている。

だから気を付けないといけない。

けれど警戒をするのもうっとおしい。

だから、そんな人を見たとき

「ああ、この方は嫉妬してるんだ」と思いましょう。

そしてそれをこちらのエネルギーにして粛々と取り組んでいきましょう!!

「戦わない奴等は笑う」

 

奴等は質が悪い。

こちらが「気にしない」態度をとっていても

なんとしてでも、というか絶対に気にさせるように仕向けてくるから、嫌でも対応しなくてはならない状況を作り出す。

暇なのか。

僻まないで自分にフォーカスしなよ。

 

ボトムアップ、レギュラーがやっぱ一番気持ちいいし好きだな。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僻みは自分のエネルギー下げるから、僻まないで自分にフォーカスして今現在取り組んでいることを粛々淡々と・着実に・熱いパッションをもちつつ、明日にワクワク期待しながら今を送れば、どうにかなるもんだ。

つまり、戦え。

これだけ情報&知恵が揃っている現代において、ただ生きている、もしくはブラックマジックにいつまでもハマっている人は言葉失礼だが愚か者かもわからない。

所詮、戦わない奴等は笑うだろう。

これまた言葉失礼になる?のか分からないが、
日本人は「人の粗捜し」が大好きな民族性で、これは遥か遠い昔から今もなお脈々と引き継がれている日本人の”至らない点”であるから、いま一度民族全体でこれらの傾向があるということを見直した方がいいかもしれない。

つまりは、もっと気持ちよくいけないものか。

全体的に質が悪い。と感じるな。
———

【追記 1・25 2020年】

隠ぺいしていることを暴く。→仕返しとして、
指摘者へたいしあら捜しをして腹いせ・仕返しをする。しかも大人の喧嘩は質が悪く極めて陰湿。
さらには、石井光基さんのように善人が殺される羽目に。
相当、暴かれたくないんだな。相当、甘い蜜を吸って、これがないと生きていけないレベルになっているんだろうな。
神性とはまるでかけ離れた世界で日々暮らしているのだろう。
最たる例が天皇家