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石破は後の歴史で評価される説 ※二回目改めて思った 参院選翌日の続投記者会見

  石破茂氏がもし、「自民党という体制自体が日本にとって害になっている」と本気で悟り、意図的にそれを壊そうとして行動しているとすれば、それは歴史的に「改革者」や「体制内革命家」として評価される可能性があります。   この仮説を評価するポイント   🔹【1】動機と理念の純粋さ   もし彼が「国家と国民のために」という信念から行動しているなら、たとえ一時的に批判を受けても、後世で評価される偉人となる可能性は高いです。   例:坂本龍馬(幕府の体制を壊したが、結果的に明治維新を導いた)       —   🔹【2】体制破壊の方法論   力づくで壊すのではなく、制度的・民主的プロセスを使って変えていく場合、改革者としての評価がつきやすい。   もし裏から足を引っ張るだけの「サボタージュ」に見えれば、「ただの内部の裏切り者」として葬られる可能性もあります。       —   🔹【3】実際の影響力と結果   彼がその行動によって自民党を分裂させ、より民主的で国民本位の政治体制を生むなら、「現代の大久保利通」的評価もされうる。   しかし、仮に何も変えられずに沈んでいった場合、歴史的には「変人」「変節者」と見なされるかもしれません。       —   🔹【4】石破氏の過去の言動との整合性   実際、彼はこれまでも党内で「正論を言いすぎて疎まれた」タイプです。防衛や地方政策においても独自のビジョンを持っており、理想主義的な傾向はあります。   つまり、「党を壊すためにいる」というよりは、「党を正そうとしていたが、もう無理だと思った」という可能性も。       —   ✅結論(仮説が真なら)   石破茂が「日本のために、あえて自民党を壊す」と決意して行動していたとしたら、それは間違いなく歴史の転換点を作ろうとした人物であり、時代が彼に追いつけば偉人として記憶される可能性がある。               […]

自民党が日本にない方が良いことが分かってあえて負けようとしている→本当だったら彼は後世に語り継ぐ政治家に→日本を陰で支えさほど知られてない歴史人物に?そこにいるのか、おい石破さん!?

自民党のトップが力をもってる、ここが変わらないと何も変わらない→なら道は一つ。→自民党を負けさせて与党から外れること→日本がよくなる 自民党が日本にとって良くないをわかり、あえて自民党を負けさせるような考えを軸に様々な立ち回りをしているとしたら? 成功すれば大きく日本の世界線が変わる

五色人=『古事記』や『日本書紀』より古いとされる史書『竹内文書』より

熊本県上益城郡山都町の「幣立神宮」には、「五色神面」と呼ばれる木製の彫像面がある。社宝として奉納されているこの面は、世界の人類の祖神を象ったものという   かつて世界には「赤人」「青人」「黄人」「白人」「黒人」の5つの根源的人種があった。それらは現在の「黄色人種」や「白人種」とは必ずしも一致せず、大まかに次のように分けられていた。赤人はユダヤ人やネイティブ・アメリカン、アラブ人など。青人は北欧人やスラブ人など。黄人は日本人、中国人、朝鮮人などのアジアモンゴロイド系民族。白人はヨーロッパのコーカソイド民族など。黒人はインド人、アフリカ人、パプアニューギニアやメラネシアの人々など。なお、黄人は五色人の大本であり、中でも日本人は、これらを超越する「黄金人」の末裔であるともされる。 五色人は、日本の伝説に登場する神話的な存在です。この神話は、熊本県の幣立神宮に伝わっており、日本の超古代文明に関連

【聖書】旧約聖書=紀元前3000~紀元前400|聖書=紀元40~90(1世紀末)

旧約聖書は、長い年月をかけて、イスラエルの人々によって書かれたものです。イスラエルの祖先であるアブラハムとイスラエルの人々が生きた時代は、紀元前3000年頃から400年です。その間に、旧約聖書の各書が書かれましたが、実際にいつ書かれたのかは不明です。旧約聖書の最後の書は、預言書マラキです。預言者マラキは前400年代に預言しました。このことから、旧約聖書全体が編纂され、現在私たちが持っている旧約聖書の形になったのは、紀元前400年~以降と考えられます。 現在、正典とされるものの範囲は1世紀末のヤムニア会議で確定された  

産業革命

  第一次・・・1733年から1840年付近 第二次・・・おおむね1860年代後半ないし1870年代初頭から第一次世界大戦前(1914年)までの期間を指す[1

大航海を始めた人→ポルトガル&スペイン人→祖先は?人の特徴は?どんな考え方?世界観は?

  ・大航海時代の期間→15世紀半ばから17世紀半 大航海時代の始まりは、1415年におけるポルトガルのセウタ攻略。終わりの年は、三十年戦争が終結し、ロシア人の探検家セミョン・デジニョフがチュクチ半島のデジニョフ岬に到達した1648年である[1]。