昔の長刀、今の菜刀 むかしのちょうとう、いまのながたな かつて戦場で活躍した長刀が、のちに野菜を切る包丁として使われてしまうように、良い物も時勢によっては役に立たなくなってしまうということ。 Post Date:2021年5月6日 ナチュラルスピリット Related Posts 自分なりの音楽家というものを世に示す、源流 と 主流(副流でない、) 以前は主流と副流だった もっと以前は副流と外魂だった宇宙の大いなる流れに乗った感覚=2020年10月22日塩船アトリエにて大いなる宇宙の流れに乗る|ラッキーナンバーの一致、もしくは多少のずれ、外れるときはそれ以外猫たちの役目|福太郎が言っていたエネルギーの与えと負の吸収停電と通電|les folies d'Espagne Post navigation 莫邪の剣も持ち手による=逆もあるなんにもしない退屈=だから何かやる=旅の始まり序章、原点は”退屈”そうすればたじろぐ必要などなし