府中西時代だ、共時性の出現、のじーさん

府中西時代のあの頃に、積極思考があったら。多角的に物事も見れていたら。自転車で高校まで行っていればラグビーにもっと上手に、体力的に持久力が上がることによって余裕をもって試合ができていただろう。周りを見渡せたり的確な判断ができたらと。

深い心はもってい

身体もわるくは無かったが、実用的なトレーニグをもっとしていればと。一番目に付く胸筋ばかりして、背筋はそっちのけ。これは例えるならば、お化粧と同じことだろう。

心、身体、は並み以上あった、しかし頭はゼロに近かった。

国立を的確に見たとき、フラットに見たとき、ここは高い頭脳の共通意識帯が漂ってる。ここに当時は気づくことができなかった。それを15年弱して、この地に再び舞い降りた。不足分を習得する。と同時に、当時の情景がまるで息を吹き返したように世界が動きだす。最後の府中西からの続きだ。

物語はこうなったんだ。ヌマタコウジ、府中西ラグビーキャプテン。30期。

 

 

父の遺言をみて、父が生きていた世界を垣間見る。それは少年のように清々しく清らかな心の世界だった。

ああ、父はここにいたのか。。。その遺言を見たときの世界観。

そのときにタイムスリップして、その世界をしっかり掴み”今”に舞い降りた。

プロ野球選手の話とは前後関係に少し異なりはあるが、いわんとしていることは同じだ。

共時性、ここもまた共時性、

府中西と少年純一君、そしてノジーさんによるメッセージ。

感謝してもしきれない。なぜならば、父が幸いまだ生きているからだ。そして、父が喜ぶこと、それは大好きな車、それも新車だ。

どれほど喜ぶだろうか。

これをしっかり自分の”仕事”で稼ぎしかも単発ではなく、持続した収入となる仕事によって得た対価として、まずはじめに純一君へジムニーを買ってあげることだ。

きちんとやれば毎年車を買えるだろう。