「我は海の子」4番~7番歌詞が歌われない理由

    明治43年に『尋常小学読本唱歌』に発表され、 國民學校では初等科音楽4(第6學年)で教わっていた 『我は海の子』 実は終戦後、7番の歌詞は 国防思想や軍艦が登場するという理由で GHQの命令により教科書から削除されました。 昭和22年4月の学制改革以降は、 小学校では3番までしか教えられていません。     ‪我は海の子 一、 我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に 煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。 二、生まれてしほに浴して 浪を子守の歌と聞き 千里寄せくる海の氣を 吸ひてわらべとなりにけり。 三、高く鼻つくいその香に 不斷の花のかをりあり。 なぎさの松に吹く風を いみじき樂と我は聞く。 四、丈餘のろかい操りて 行手定めぬ浪まくら 百尋千尋海の底 遊びなれたる庭廣し。 五、幾年こゝにきたへたる 鐵より堅きかひなあり。 吹く鹽風に黑みたる はだは赤銅さながらに。 六、浪にたゞよふ氷山も 來らば來たる 鐵より堅きかひなあり。 吹く鹽風に黑みたる はだは赤銅さながらに。 七、いで大船を乘出して 我は拾はん海の富。 いで軍艦に乘組みて 我は護らん海の國。  ーーーーhttps://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/a5ef306e5e6701c64e74970f5e10fef5より引用ーーーーー ▼♪いで大船を乗り出して われは拾わん海の富 いで軍艦に乗組みて われは護らん海の国。この部分が、軍国主義を想起させるというのだ。昭和33年から再び教科書に載るようになったものの、3番までしか歌われなくなった。久しぶりに全曲を聴いてみた。やはり海洋国家、日本にふさわしい名曲である。  ▼日本近辺の海底には、豊富な資源が眠っていることがわかってきている。尖閣諸島周辺での領海侵犯を常態化させている中国の公船は、九州北部海域の領海にまで侵入を始めた。海の富、海の国を守る覚悟をいよいよ固める時である。今日の「海の日」、「われは海の子」を7番まですべて歌う日としたい。 ーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

集合意識帯の中で対人関係を発展させていく|意識に到達していない人は理解の為に時間を作る段階

ここには友人関係も含まれ、もっといえば家族や肉親関係にも含まれるだろう。 ようはうわべの付き合いは何の生産性もなく単なるその場にしならない。 ーーーーーーーー これからの時代、ある集合意識帯の中で対人関係を発展していかなければ どこかのポイントで足元救われる気がしている。 加えて煩わしい状況にハマるのだろう。 だからどこの意識帯で発展させていくかがめちゃくちゃ大事なポイントとなっていくんだろうと思う。

【いい加減に】日本人は天皇家の実態を知らなければならない

https://www.resignation.info/people/akihito   犯罪者は死か生き続けるかを選択できるらしい 世間的に影響がある大物犯罪人は、逮捕拘束後、処遇を選択できるそうです。 権力を剥奪され、犯罪内容を人々に知られたうえで生き延びる 犯罪内容は公開せず、名誉を残して死を選ぶ(ロンメル死) 明仁は、前代未聞の生前退位で天皇を辞退しましたよね。辞めさせられたのしょう。 また、明仁は自分の命が惜しいようですね。

子は親に似る|あきひと、ひろひと

アドレノクロムによる目のアザを世間にさらして、生き延びる選択をしたようです。多くの子ども達を犠牲にしておきながら、自分は生き延びるという図々しさには驚かされます。 今後、犯罪内容が人々に公開されることになるでしょう。 そして、その中で生き続けていくことになります。

竹内文書についての私解

まえがき 顕教、密教という概念 真実は隠させる これらを踏まえて考えてみると「竹内文書」に興味が出てくる。 なぜなら、いわゆる有史とされる時代の特徴は”戦い、奪い合い”がベースにあるため。 いろんな形で真実は隠され埋もれてきた。   おや?とする箇所 ①日ユ同祖論に触れている ・日本は世界の雛形、世界地図は日本の縮図、菊家紋、スメラミコト、 ②一般的に知られるエジプトのピラミットは元を立たすと日本発祥であり、 「日来神宮」と書いて”ヒラミット”と呼ばれたものが日本にピラミット建設以前に日本に存在していた。 ③ 疑問|なぜ今のタイミングで注目を集めているのか

素直と僻みとの闘い|光と影|陰陽

類は友を呼ぶ、波長の法則 か カルマの法則 か 陰陽の考え方 か ーーーーーーーーーーーー ケイシーを見習う 誰でも甘えるし丸裸 喜び光で周囲を包み込む juditaがそうだった ーーーーーーーーーーーー 【求めらること】 気になるような形で気にさせる 都度都度、突破する、一掃させていく